ティッシュペーパーを何にせよ使っていた。
汚れを拭き取る、メガネのレンズを磨く、出血を抑える、鼻をかむ、丸めて投げる、固めて緩衝材にする…、可能性は無限大。
極めて安価に手に入るテッシュをまさに湯水のように使ってきた。
ところが、西成安宿にはティッシュが常備されていない。
困る。いろいろと困るじゃないか。
それはもう色々と。
下の画像は先日宿泊した大阪市内のビジネスホテルのティッシュ。
半分サイズであるが、使わせてくれる。常備品。
しかし、西成安宿には、ない。
そして、もう一つの画像。
あいりん地区の西成労働福祉センターのカウンター。
ティッシュ不足に悩む西成のオッチャンたちのために、ここでは無料でポケットティッシュを配っている。
実際、多くの人が「ティッシュちょうだい!」と貰って帰っている。
ごく日常的な光景。
地区内の薬局では、ボックスティッシュを一個売りしている。
五個セットなぞ買ったって、持ち歩けない。
一個=200組400枚でも、持て余す。
でも、要るんだティッシュは。
そこで、現在、流浪の生活を続ける僕がこのティッシュ問題にどう向き合っているかというと、紙製のガワで出来たボックスティッシュの嵩張りを嫌い、ビニール製のガワをもつ“ソフト”ボックステッシュを持ち歩いていた。
これならば、使うごとに少なくなった容量に応じてシュリンクが可能。
バックパックの隙間にもねじ込める。
しかし、西成暮らしを始めて2ヶ月後、これでも体積を取り過ぎることを懸念。
今、どうしているかというと、
100均のジップロックに必要相当のティッシュを半折で詰めて持ち歩いている。
これを、週一で補給していく。
これが、経験でつかんだティッシュのリーズナブルな持ち歩き方。
今のところ、これが正解。
自慢気に書いているが、なんて貧乏くさいライフハックなのだろうか。
このチマチマ感にイライラしないでいただきたい。
どうやら多くの発明品と同じく、ティッシュの発明の背後にも「戦争」があるようだ。
戦争という非人道的イベントの影で産み出されたものを、今の我々は存分に享受している。
複雑な心境だが、極限の状況だから産み出される人間の叡智は素晴らしい。
どうにか、これからの発明は戦争と無関係に産み落とされて欲しいと願う。
そして、もう一つ尾籠な話で恐縮だが、男女や男男、女女やあれこれが愛のしとねを共にするとき、その事後にもティッシュは活躍する。
ラブホにティッシュが常備されていなければ、大声でフロントに怒鳴り込むべきだ。
ティッシュなどという文明の利器が存在しなかった時代はどうしていたのだろうか?
どうやら、想像通り「紙」を用い、「洗う」こと、で処理していたようである。
また、自らを慰める際にもティッシュは用いられるだろう。
その喫緊な解決策としては、先ごろ芸人の中山功太が提唱していた
「その日はめていたマスクを使う」
という方法はかなり頷けるものであった。
どうしたって、連続使用は不衛生になりがちなマスクがしっかり成仏できるような気がする。
今日一日お世話になりました、マスクさん。安らかな心で。
使い捨て、という営為を辞めることが求められている時代にあって、ティッシュペーパーではなく手ぬぐいや手そのものを用いることが、この先肝要なのかも知れない。
しかし、ティッシュを極力使わない生活を始めるまで、僕もティッシュのありがたさへの念が抜け落ちていた。
もう、「ポテチ食ったから、ちょっとティッシュで拭く」みたいな贅沢な使い方はできない生活なのである。
というわけで、これからも僕のティッシュ不足の毎日は続く。
健全に暮らす皆さんは、ティッシュにまみれた毎日を過ごせば良い。
羨ましい。