住所は、西成区山王1-4-16
その店には看板がない。
窓ガラスに描かれたステンシルには、「親切〜」「ビー〜」との文字列がかろうじて判読できるけれど、店名はわからない。
「ビー ホニャララ」ってなんだろうか。
これが店名なのかも知れないし、突然「ビー・トゥギャザー!」と叫んでみている可能性もなくはない。
エアコンの室外機、タギング、新世界国際劇場のポスター、古びた自転車。
アレが無い。
アレが無いので、何屋かわからない。
ただし、営業中にはアレが颯爽とクルクルしている。
俗説によれば、動脈!静脈!包帯!フレンチ!のサインポールが店先に登場すると開店である。おそらくは高確率でここは床屋だろう。
髪が伸びるというカルマ
西成に来て、安宿でほとんど横になっているだけの毎日なのに、頭髪は伸びる。
サッパリしたい、短くしたい。必然、髪切り屋を求める事になる。
そこで、思い出したのはこの看板。
「火曜日の朝8時半」に四角公園で整理券を貰えば、「いこいの家」さんで、無料散髪をしてもらえるようだ。
そこで、先日、四角公園に8時からスタンバイしていたのだが、半を過ぎても一向にそれらしい動きが起こらない。
在西成公園のもう一角、三角公園と比べて人影もまばらな四角公園。
近くで、遠い目をしていたオッチャンに、
「今日って、サンパツの日じゃないですか?」
と聞いたら、
「ああー、アレもうやっとらんのちゃう?どうなんやろ?」
とのこと。
なるほどですねー。
ちなみに、僕は大まかに言って、通算8年ほど福岡県で過ごしたのだが、博多の人が「なるほどですねー」とほざく時は、全く話を聞いていないし、理解もしていない時である。『博多の女<ヒト>』は11年連続モンドセレクション金賞受賞である。
納得できないまま、この試みを催している「いこいの家」に赴くと、現在はストップしているが、11月より再開予定とのこと。
なるほどですねー。
西成近辺には安い理髪店がたくさんある。過去にも2軒ほど訪ねた。
次なる理髪店はどこか?
そこで前から気になっていた店に向かうことにする。
上記の看板のない理髪店は、「おふろや 和光」の前に位置する。
「和光」でひとっ風呂浴びた際に、番台の女将さんに尋ねたところ、「10時頃からやってるよ」とのこと。
そこは確かに床屋であった
意外にスムーズに動く引き戸を開けると、店内奥のテレビの前に座っていた店主と目が合った。
「やってますか?」
「はい。どうぞ」
「ちなみにおいくらですか?」
「1900円です、いいですか?」
なんと!
想定外の価格設定である。
すっかり、西成相場に慣れている身からすると、倍付くらいの値付けに感ずる。
店内の右側に三脚のバーバー椅子があるが、手前の二つは箱ティッシュや、使われていないスプレー缶、錆びきった金属片(理髪道具なのかどうかも分からない)らによって、座面が埋められている。ので、唯一座ることを許された奥の椅子に座る。
黒縁メガネにストライプの半袖シャツを着た白髪のご主人が首にタオルを巻いてくれ、ケープをかけてくれ、散髪スタート!
入店前は、丸坊主でいいかな、と考えていたのだが、1900円なら調髪してもらいたい。
「横と後ろは刈り上げて、上は短めで残すような感じでお願いします」
「横ね、後ろもね、短くね」
「バリカンでいいですよ、刈り上げてもらって」
「ああ。バリカンでいいですか」
と、バリカンを肌にあてるご主人。
痛いな!けっこう痛いな…
油なのか、刃が古びているのか判然としないが、けっこう切れていない気がする。
ただし、腕は確かである。
軽く刈り上げたのちに、数種のハサミを使い分け、丁寧に切ってくれる。
窓ガラスのステンシルが「親切丁寧」であることは確定。
横の「ビー〜」は、「ビースト・ウォーズ」である可能性は残る。
「そうなんかねぇ、分からんけど」が連呼される
「お父さんおいくつですか?」
「70」
「ああ、お元気そうですね。ここは何年ですか?」
「もう、親父からやから50年になるね」
「ああ、ずっとここですか?」
「そうですね。この辺もコロナでねぇ。大変よねぇ」
「床屋も影響ありますか、どうですか?」
「まあ、変わらんかなぁ。別にねぇ、お客もそんなに来んし、分からんけど」
「忙しさも変わらんすか?」
「そうやねぇ、どうなんやろねぇ。分からんけど」
取り残された街
丁寧な仕事は続き、順調に髪は刈られていく。
「昔は、暴動とかあってね。物騒なところやったけれど、この辺はもうほっておかれてるから」
「暴動とかの頃って覚えてますか?」
「まだ、小っちゃかったからね。怖おうて、ウチから出んかったですよ」
「そうですか、でもお父さん思春期くらいやったんちゃいますか?」
「そうなんかなぁ、分からんけど」
「この辺は、飛田も近いし、文化遺産みたいな街並みですよ。このお店も」
「そうなんかねぇ、でも暮らしとる分には分からんなぁ。再開発とかも、こんな路地裏までは及ばんからね。維新の会の『中華街構想』とかあったけど、この辺は関係ないもんねぇ」
「お父さんは、維新支持ですか?大阪では人気ありますわね」
丁度、店の奥のテレビでは国会代表質問が映し出されている。
「維新なんかなぁ、人気はあるんやろねぇ、どこでもいいけどねぇ。私らにとっては国政は遠いんですよ、いうたら市議会とかの選挙?の方が大事やわねぇ。分からんけど」
「この街がどうなって欲しいとか、ありますか?」
「どうやろねぇ、もうくたびれていくだけやわねぇ。この辺も若い人が全然おらんでしょ?暴動を起こす元気もないわねぇ」
その後、床屋政談的なトークが交わされたが、ほぼ「そうなんかねぇ」と「分からんけど」が連呼されて、内容はゼロであった。
それでこそ、床屋政談だともいえる。
どっちかを辞めて、長生きする
1900円という高価格帯なので、是非ともシャンプーまで施して欲しかったのだが、
「壊れてて洗えませんのや」
とのこと。
髭はあたってくれるようなので、お願いするが、口元に置かれた蒸しタオルが臭う。
獣臭的な匂いで、閉口。
口元を動かして、鼻先からタオルの位置をずらす。
「休みの時は、ここから歩いて大阪城まで行きますねん。一時間くらいかなぁ。それが元気の素やね。どっちか辞めよう思うてね、10年前にタバコ辞めましてん」
「ああ、酒は残したんですね」
「そう、酒は味がするけど、タバコは味せえへんようになって、少しずつ本数減らして辞めましたわ」
「この店は禁煙?」
「いや、お客さんが吸うからね」
正面の鏡の横には大きな鉄製の灰皿があった。
「酒は辞められませんか?」
「昔は日本酒やったけど、今はチューハイ。辞められんねぇ」
「この辺の店に呑みに行くんですか?」
「いや、もっぱら家。店に行くとねぇ。ややこしいから」
「ややこしい?」
「飲むと人が変わる人が多いから、素面ではいい人でもねぇ、飲むと絡まれたりするから、特にこの辺の人はそれが多いわねぇ。だから店には行かん。中国人の娘が居るような店はうるそうてかなわんし。美人の子が多いから、良さそうやけどねぇ」
「若い頃は飛田も行きました?」
「いや、こんな歩いてすぐのところは行きません。行ったら顔見知りに会うてまう。行くなら遠くですわ。分からんけど」
「あと何年くらい続けられそうですか?元気そうやけど」
「どうやろ、ボチボチね。やれたらエエけどね」
眉と顔剃をしてもらい、最後にオーデコロンをふってもらい終了。
20分くらいだろうか。
床にタバコを捨てる
「お父さん、ちょっと一服してから帰りますわ」
タバコに火を点けると、親父さんは店の扉を開け、空模様を確認。
「今日は、雨なんかなぁ。湿気が多いねぇ」
灰皿を借りようと尋ねたら、床に灰を落とせばいいとのこと。
写真を撮っていいか聞くと、
「汚いから、あんま撮られたくないなぁ、いいけど」
すません!
「失礼ですけど、思ったよりちゃんとした床屋さんでした!お父さんの腕も達者やし」
「まあねぇ、長くやっとるからねぇ、分からんけど」
バリカンの切れ味と、タオルの臭いはマイナスポイントだが、店構えから察する期待値は遥かに凌駕してくる散髪体験であった。
あと、使い終わったタオルを勢いよく流しにぶん投げる時の親父さんのムーブは70歳とは思えない力強さであった、分からんけど。
床に吸い殻を捨てて退散。
中国っぽいなぁ。こんなマナーが通用する理髪店ほかにない!
「しかし、おたく元気やなぁ」
「いやぁ。空元気でしかないす。ありがとうございました」
「おおきに!」
そういえば、結局店名を聞くのを忘れてしまった。
「ビー なんとか」
なんじゃないかなぁ、分からんけど。
ちなみに、店先の新世界国際劇場のポスターは、勝手に貼りにくるそうです。
そんなことあるのか!?
宿に戻り、洗面場でセルフシャンプーをしました。
そして、「スーパー玉出」の鏡を利用してセルフィーしました。
次の散髪は、整理券もらって無料を狙ってみます。
※ 訪問日:2021/10/13
<追記>
この記事をあげたら、Twitterで Moonlight水晶Daybreak さんから、店名は
「ピース理髪店」
ではないか?
とのご指摘をいただきました。
そんな気もする。確かめに行くことは多分ない。
すぐ行けるけど。