大阪には十三(じゅうそう)という街に
「ションベン横丁」
という飲食店街があり、コク深い呑み屋やお店が軒を連ねていたらしいのですが、2014年に大規模な火災があり、その後復活を果たしてはいるのですが、往時とは変わってしまっているのかも知れません。
僕は、2014年以前に訪れたことはない。
ところは、西成。
この街でしょっちゅう見かける光景と言えば、立ちションするオッチャン。
(右端に見切れています)
旧あいりんセンターの軒下にはホームレスの方々が暮らしていますが、その向かい側に青いポリバケツみたいなものが等間隔で設置してある。
当初、「コレ、なんだろう」と思っていたのだが、簡易トイレなのね、コレ。
日雇い現場でも時折見かける。
他の地区よりも公衆便所の数は多いとは思うが、とにかくみんな昼夜を問わず酔っているから、そうすっと所構わず立ちションに及ぶんでしょうな。実際。
その辺を散策していても、突然ションベン臭い芳香が漂う局面も多い。
もう少し、ガマンということを覚えて欲しい気がする。
でも、ガマンなんかしたくないものね。THEガマン。
そこで、必然的にここには「小便すんな」的な看板や貼り紙が散見されることになる。
おそらく、酔いどれのオッチャンは、その看板目がけて立ちションかましたりすると思うので、効果のほどは分からない。
そこで今回は、どこで今回なのかは不明だが、西成で見かけた「小便」にまつわる注意喚起を集めてみた。
こんな記事でPV数が増えると思っている僕は完全にしょんべん野郎である。
立ち小便看板コレクション
スタンダードだが、非常に力強い。ロシア構成主義を想起させる。
鳥居のつるべ打ち。
神道的な抑制効果が現在どれほど有効なのか、疑問ではある。
むしろ、鳥居の目掛けて格好の的になりそうな危惧がある。
非常に怒っている。
「犬とみなして水をかけるぞ!」
という恫喝に、力には力で応じるという気概が感ぜられる。
ソフトな言い方で「オシッコ」と書くことで、「立ち小便」のみならず「座り小便」への警告効果も果たしている。
クレバー。
歴史を感じる注意書きである。
西成vs小便は、昨日今日始まった闘いではない、という重みを感じる。
こちらは西成でよく見かけるライオットな「やるぞ!!」看板。
この看板の下に「立ち小便をやめましょう」の吊り札が取り付けられ、セットになると
「立ち小便を『やるぞ!!』」
と読解してしまいそうになるが、それは永遠の誤読である。
「大」はダメ。
「大」と「小」はセット案件であると考えてもいいが、立ちション禁止という文言には「当然大便もダメなのよ」という意が込められていることには意識的であるべきである。
という訳で、またしてもコレクションという程画像が豊富ではなかった。
そのことについては素直に謝罪したい。
ごめんなさい。
まとめ
結論としては、西成あいりん地区にはしょんべん臭いところも部分的にある。
それはみんなの街も同様だろう。
呑んだら、出す。
そんな人間臭い街。
人間臭さは、しょんべん臭さ、と理解したい。
「しょんべん」と言えば、長渕剛
「しょんべん」という単語に、“自らの拙さ”や“世間への憤り”をのせて歌った歌手と言えばどう考えてたって長渕剛になるだろう。
歌詞検索で調べたら、やはり数曲ある。
くそまみれの公衆便所
鼻をつんざくアンモニア
ジッパーおろし、たれ流しゃ
真っ赤な血のしょんべん作詞・作曲:長渕剛
『英二』
泣きっ面にしょんべん
ひっかけられた夜作詞・作曲:長渕剛
『しゃぼん玉』
眠らぬ街 東京の暗い路地裏で
ビタミン臭ぇ真っ黄黄のしょんべんたれりゃ
どっかの馬鹿っ面の男が電信柱の影から
やりきれない程悲しい瞳で俺(ひと)をみつめやがる作詞・作曲:長渕剛
『空〜SORA〜』
ああ 明日の朝 ああ 国会議事堂へ行こう
ああ しょんべんひっかけて ああ 口笛吹いてお家へ帰ろう作詞・作曲:長渕剛
『お家へ帰ろう』
難行苦行、浮き世に疲れたと
しょんべんたらしながら お経おっ始めた作詞・作曲:長渕剛
『お釈迦さま』
「しょんべん」という平仮名表記に、ある種の侠気や男の佗しさを感じる。
日本一、しょんべんを多用するシンガーとしても長渕剛は記憶されるべきだろう。
一方、ザ・ブルーハーツの永遠のアンセム
『未来は僕等の手の中』
の歌詞にも「小便」は登場する。
くだらない世の中だ ションベンかけてやろう
打ちのめされる前に 僕等打ちのめしてやろう作詞・作曲:真島昌利
ここでの小便表記は、片仮名で「ションベン」。
何もかも振り払って、自分らしく突き進めとアジテートしてくるこの名曲。
長渕の歌う「しょんべん」の持つ湿っぽさに対して、甲本ヒロトの歌う「ションベン」の乾いた明るさは、希望と繋がっている。
今ここ、自分の現在地における「小便」は、「しょんべん」なのか?「ションベン」なのか?
そんな事に思いを馳せてみるのも悪くないだろう。
僕は何を書いているのだろう。