2021年10月9日
老境に入った実家の家人らの朝は早い。
もう、老境を視界に捉えた僕の朝も必然早くなる。
朝食はもとより、母が息子に3食食べさせようとするのが、不思議。
「もう、私一日一食よ。三食食うなんてブルジョアの仕草ですよ」
と発言して、白眼視されたので外出。
地方都市からのぉ
途中、小学校の掲示板にコロナ罹患者への白眼視を諌める旨の貼り紙。
事実、駐車場に置かれた県外ナンバーの車がコインスクラッチされたり、ノーマスク勢が叱責されたり、といった村社会丸出しの所作が横行しているようだ。
こんな時こそ、人品骨柄が問われるし、閉じてシュリンクして、老いさらばえていくのが、中規模地方都市の一般なのだろう。
そんな折、2020年に地方創生、文化地方発信的な意味合いで東京からやって来た「国立工芸館」へ。重文の十二の鷹がメイン。東京にあった頃から、やや地味な存在の施設であったと思うが、当地に移転してきてからも突出できていないような。展示室はさほど多くなく、作品数で圧倒されるようなボリュームがないから、疲れない。良い展示を浴びると、かなり疲労するものだ。
「十二の鷹」には、スマホを使ったギミックも。
リターン式のコインロッカーにリュックを預けており、鑑賞後引き取りに行ったら、幼い童子がはみ出してしまっていた僕のリュック紐をガンガンに引っ張っていて、あまりに一所懸命な風だったので、声をかけられず、5分ほどロスする。システムに負けずに、大きくなれよ、少年。
地元の偉人、文人
地元に居た頃には、至近が過ぎてまたは、ある種値踏みした上でバカにしたような心持ちで訪れなかった施設を連チャンする。
ピンで勝負できる人物は、単体で記念館が興されている訳だが、コチラの施設は団体戦というか十把一絡げ的なマッチメイクが施されている。
ただし、高名だからといって、それが当該人物のイコール価値ではないであろう。
「単体」に飽きて、「企画」に流れ、「企画単体=キカタン」で再び女優至上主義に復古していくものかも知れない。これは、AVの話である。
中西悟堂は、客席目視カウンターでお馴染み「日本野鳥の会」創設者にして、「野鳥」という言葉を作った人物のようだ。知らなかった。
桐生悠々は、反骨のジャーナリスト的に知られているが、彼も、ふるさと偉人だったのか。知らなかった。
加藤せむは、女性教育に尽力したとされるが、その信念の礎には、良妻賢母の人づくりがあったようで、婦人運動や女性の権利獲得を目指した人物ではないようだ。なぜ、ふるさと偉人に選出されたのか、疑問の声もある。
短編アンソロジー小説を読むような楽しさのある施設であったが、今どきというべきか、生誕地と人物を結びつける、地域主義丸出しのコンセプトは如何なものなのか?
その地で産まれ、かつ当地で地域由来の活動を終生行った、ならばいざ知らず、たまさか産まれたのが金沢だっただけで、活動の主体は中央だった人々ばかりのような…。
顔ハメ看板や時代モノ衣装体験など、趣向が凝らされた撮影スポットを館内に用意する施設も多いが、「金沢ふるさと偉人館」の仕掛けは、
表彰台
であった。謎。
限られた予算内で豪奢な企みは困難としても、もう少し頑張れ!
三文豪を更新する
傑物や横並びの有象や戦略的な推しを、3や5や7や10や12といった頭数で括るやり口の中でも、「三大ホニャララ」というのがモーストポピュラーなマナーであるが、金沢には「金沢三文豪」というテーゼが存在し、街中にあった三文豪の銅像の眼鏡がしょっちゅう地元民の破壊衝動によってデストロイされる事象も懐かしみーである。
上記の三人が、金沢の産んだ三文豪とされる。
「三大ホニャララ」として固着されたイメージは容易に覆らないが、現在視点で眺めれば、「金沢『新』三文豪」は、
上記の方々になるのではないかと思われる。みんな女性。3人ともスゴい作家。いかに金沢の男が近世以降クソか。クソなのか。クソなのだ。
本谷有希子氏は、金沢市ではなく「白山市」出身だ!という異論は、「松雪泰子も佐賀 公表してねぇ」のパターンでギリ許容されると思われる。
という訳で、昨日は泉鏡花先生を消化しているので、残り二文豪。旧の方の。
徳田・室生 両先生に気付く
「徳田秋声記念館」
は、三文豪の記念館のなかで最もロケーションが良い。
ひがし茶屋街の外れ、浅野川沿い。気持ちいいですね。
建物も洗練されてるなぁ。
作家性と建築を同期させているのかも知れません。鏡花記念館は和風味が強かったから。
徳田秋声は、自然主義なので、モダン優先な和洋折衷。イメージですけど。
恥ずかしながら、ミュージアムショップで秋声の『感傷的の事』買って、河原で寝転がってチビチビ読書しましたが、びっくりするほど読みやすく、あけすけで闊達で面白かった。
さす「三文豪」の一翼。
「金沢『シン』三文豪」は、
で決まり。本谷さんは、白山市出身なんで落選。勝手言いました、すみません。
自転車を走らせて、浅野川から犀川沿いへ。
川のある街っていいですよね。お前、さては実家に帰りたいんだな。
西成に疲れてんだな。うるせ、バーカ。
っての。コレ、室生犀星の、なんですね。「遠くで汽笛を聞きながら」はアリスの、ですね。
もう、老人ですね。思い浮かぶものが、イチイチ古くて、いっちょん更新されていない。あとは、死ぬだけですね。
字面もイイです。よい。
「うらぶれて異土の乞食となるとても」
ほぼ今の竹下ですね。
でも、
「帰るところにあるまじや」
帰っちゃダメなんですね。帰っちゃダメなのかよ。
厳しいな犀星。
だから、「ふるさと」は「遠く」にあって、「思ふもの」な訳か…
人生って厳しいものですね。たしかに帰る場所なぞ、いずれ失くなって、畢竟「咳をしても一人」に達する。のだし。
改めて、文豪の強度に触れて再発見。
「再」どころか、これまで見つける努力もしていなかった。
三様で見どころも多いんで、金沢に来たら、三文豪の欠片に触れてみていただきたいです。
室生犀星記念館のトイレで「一歩、前へ!」ウォーニングポップ収集。
小便器の足元をベシャベシャにする極悪人に警鐘を投げかけるメッセージを撮り溜めて20年になります。もう、死ねばいいような趣味。きっと。
本読んで、寝る
決してけして甘えちゃいけない場所たる実家への帰路すがら、「金沢」という地名の由来となったとされる芋掘藤五郎の菩提寺的な寺に寄って、帰還。
けっこう良い観光コースじゃないか。模範的。
秋声完読して、『はじめての動物倫理学』完読して、母ちゃんに両面焼きの焼きそば作って一緒に食って、就寝。
じゃあ、ふるさとを袖にして、西成戻ります。
厳しい人生の再開。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」