2021年10月7日
実家に戻り、しこたま寝て、元気いっぱい勇気リンリンであちこち出歩きたかったのだが、完全にワクチン副作用で一歩も動けず、結果またしてもしこたま眠る。
夕刻過ぎて、夕飯の買い出しに近所のひまわりチェーンまで出かける。
が、ふらつく。
しかし、湧き上がってきた北風に身体を持っていかれるほどヤワな見た目をしていないクソデブな訳なので、客観視すれば、機嫌の悪そうな贅肉オバケにしか見えないのが残念。
おそらくというかほとんど確信を持って言いたいのだが、
「ワクチン打ったから、なんすよ…」
「ワクチン打ったら、ホラ!副作用出てんすよぉ!」
という免罪符を天高く掲げていて、そこに甘んじているだけ。
きっと、ただただしこたま寝たかった。だけ。に違いない。
米袋10キロを背負って帰宅したのだが、いつまで経っても母親がネットスーパーおよびネット注文で食料を調達しないことに腹が立つ。アンタの様な体力の衰えた老婆こそが、配送業者さんに頼らなきゃ。そう何度も言うが、口に入れるものは直接手に取りたい、という因習は改善されない。
10月8日
映えこそ全て
アートに溢れる街、アート心を持つたおやかな人々で溢れる街、ということにしたい感じが満ち満ちている虚飾town金沢。
に、2000年に爆誕したKAMUという多拠点アートスペースに赴く。
21美からほど近いので、流れてくる観光客も多いのか?と思いきや、コロナっているので僕一番乗り!2000円也を支払うと4つの展示会場を巡れるとのことだが、各地点が微妙に遠いし、時間も限られているので全クリは結構大変。
今日は1/4がクローズとのこと。
とにかく「映え」を意識的に取り入れている作品ばかりなので、カメラロールの補充が捗ってしょうがない、な。
はてなブログで、画像を横並びに配置できることに、今の今気付く。
スクロールって面倒だものね。
バリューの薄い画像は小さくすれば良いのだな。だね。読んでる人の負担を考慮したブログ構成にすべきだろう。皆様は、腐れ三下の思うさま撮った画像を逐一眺めるほど暇ではない。
KAMU Black Blackと称された部屋での、真っ暗の空間にレーザー的な演出がバチバチ迸るヤツの呆気なさにややガッカリして、数年前に瀬戸内国際芸術祭で体感したボルタンスキーの株が相対的に上がる。真っ暗な空間で、コケ脅し以上の感慨を得るという意味で。
デザインを愛でる
続きまして、金沢美術工芸大学で長年教鞭を取った柳宗理の記念施設「柳宗理記念デザイン研究所」へ。
学生の頃、柳宗理のデザインしたスプーンを手に入れて、それ一本で全ての食事をやり過ごしていた時期があったのだが、スープは掬いにくかった。浅いから、全然掬えない。
ただ、スプーンとして、それに惚れていたので、無理無理時間をかけてスープを飲んだ。
デザインを優先して、食事のセレクトが後ろになる、というのは本末転倒。ではなく、生活の潤いとして、好きなカトラリーを使うことが、食欲よりも前に来るという経験。
ちなみに、「Jリーグチップス」が嫌いな人はこの世にただの人っこ一人も居ないと思うが、もちろん付属のカードで、勝矢や反町、モネールあたりを引き当てることが主目的だったので、いきおいチップスの方の消費がおろそか且つ滞る事態が招来。
そんな時は、丼鉢にチップスを砕いて2,3袋分貯め、そこに粉末をお湯で溶かすタイプのスープの素を、チップスの塩分および油分を考慮しつつ規定量よりもかなり少なめに投入し、「Jリーグチップスープ」をこさえることで、チップスの消費効率を格段に上げられることを、Jリーグチップスファンの方にはお伝えしておきたい。
驚きを与えることになるかも知れないが、この「チップスープ」戦略は、「プロ野球チップス」や「遊戯王チップス」あたりにも有効なので、活用されたし。余ったチップスを川に投げ捨てたりしないでください、絶対に。
チップスープもたくさん、柳宗理のスプーンで食ったなぁ。チップスのおかげでスープも掬いやすくなったし。
工業デザイン製品には、買えて使える!喜びがある。
僕のような無粋な人間が、美術ともっとも近接していたのは、柳宗理のスプーンを愛でていた時期なのではないかと振り返る。
今では、毎日使い捨ての割り箸で、半額惣菜をやっつけるだけの体たらく。
バタフライスツールも欲しかったな。「結婚して、持ち家でも持ったら、ファニチャーにも金を掛けてバタフライも買うんだ!」とか人生を楽観視していたあの頃の自分をどやしつけて、自殺に追い込みたい。
そのまま、ついでに裏手にある「泉鏡花記念館」にも入る。
鏡花作品の口絵を多く担ったという鰭崎英朋の画が素晴らしく、ちょっと衝撃を受けた。
特に『続風流線』のモノ。劇画的つまり劇的。
圓八のあんころ餅
あんころと名の付く商品は、市内のお土産モノ売り場に数多転がっているが、「圓八」のあんころだけが、金沢の誇り。
これを食ってしまうと、赤福がガキのおやつの粗悪品としか思えなくなる。
上品な甘さとほど良き食感。「これに比べると、赤福ってのは…」と赤福ディスを始めてしまうのは、大変下品。赤福は赤福でいいよ。猪木風に言えば、「お前は、それでいいや」である。
一般的な和菓子の例に漏れず、圓八のあんころ餅は足が早く、当日中消費が絶対であり、もっといえば製造から分刻みで、餡の風味と餅の柔軟性が失われていくので、遠隔地からの土産物に適さない。
金沢駅には、朝8時ごろには商品が到着する目安なので、お昼前には手に入れたいところ。
近頃は、買える場所も増え、手に入りやすくなったが、数年前までは売り切れ必至の人気者であった。「関西圏に山ほど、売るほど、転がっている赤福なんて…」とまた赤福ヘイトに陥ることは、避けなければならない。赤福は、「赤福食うよぉ」って気持ちで食えば、それなりに美味い。それでいいじゃないか。
どちらか一方を下げることでしか、もう一方を讃えられないような論法に説得力は無い。
よって、ここまでの語りに利はない。
食べればわかる、食べてもらうしかない。猪木風に言えば、「ゆけばわかるさ」である。
帰宅後、母と妹と連れ立って回転寿司を食す。
田舎で過ごす夜は早い。