暮らす西成~大阪市西成区あいりん地区に潜伏する

住所不定無職。大阪市西成区のあいりん地区で働きながら生きていこうと思います。アンダーカバーか、ミイラ取りがミイラになるか。

金沢への帰省で、ワクチンと哲分と美意識と甘味を接種あるいは摂取する ①

2021年10月6日

時間というものは…

時間というのものが儚かったり、忙しかったりすることは、横山剣氏の歌声を持ち出すまでもなく自明です。随分と時間が経ちました。ちょっと転がった幸運の果てに、或いは不幸の掃き溜めの底に、まだ、未だ僕は西成界隈に居ます。やめない限りダラダラと続いていくのですね。※2023年9月30日現在

あまりにもひっさびさにブログを書いている為、全く筆が進みません。
ここまで書くのにゆうに40分を費やしている惨状です。
テメエのことを書くのが、イヤなんでしょうね。
あまりにひっさびさにブログに手を出して、手汗ビッシャビシャなので、ブログ上のペルソナを忘却していました。なんか、ですます調は使っていなかったようです。ので、以下少し小無礼調になる。無礼講よろしく。
何事もなかったかのように、「続き」に取りかかる。

 

open.spotify.com

 

キタローに会う

高速バスに揺られて、金沢駅着が午前6時前。

2回目のワクチン接種予約時間は夕刻なので、そのまま在来線に乗り換え宇野気駅へ。

金沢市では、学生を対象に高峰賞という理系若人を青田買いする類の褒賞があって、僕も中学生のみぎりにまかり間違って、「お前は有力候補だ!」と梯子をかけられた経験があるのだが、その審査基準は完全なるブラックボックスだし、バキバキにドドドブ文系だったのでおかしいと気付くべきだった。結果、出席番号がひとつ違うだけの友人が受賞した。

彼の受賞後、「賞金出るんですってねぇ、お兄さん」と友人たちとよってたかって、彼を包囲して片町でミスドを奢らせたのも良い思い出である。ゴールデンチョコレートをね。
思えば、僕の負け犬人生はその折とっくに加速していたのであった。巻き戻したいなぁ、A面の1曲目のアウトロあたりまで。

 

石川県の生んだ渋めの偉人といえば、先の高峰譲吉中谷宇吉郎であるし、なかやんに至っては北陸の豪雪地帯で圧倒的な悪者である「雪」という存在に結晶の美しさというメルヘンをふりかけることでファンシーな位置まで引き上げた功労者なので、2034年あたりにNHKの朝ドラで取り上げられることが決まっているという伝聞を仄聞している。NHKが存続していればね。

そして西田幾多郎も郷土の偉人、哲人。2035年の朝ドラモデル候補。2年連続である。
西田の記念館に初訪問するために、金沢から北上して、かほく市宇野気駅で下車。

宇野気→うのけ
と読みます。カードゲームUNOの由来となってはいません。けして。

 

駅前には「世界的」と推してくる西田の銅の像。
糞害の痕跡もなく手入れが行き届いている様子。愛され幾多郎。

駅前から記念館までは徒歩20分。
途中、崩落気味のお菓子自販機を発見。出立ちはブルージーだが、意外と売っているものは保守的。

少し寂しい街並み。
ですが、寂しさにかけては僕だって負けない。という気概。

 

徒歩20分の距離を約20分で歩き終えましたが、開館時間まで小一時間あったので、公園で喫煙して読書。
車はバンバン走っているが、歩いている人とは滅法会わない。非常にスタンダードな人口減少都市。落ち着くけれど、寂しいかも知れません。しかし騒がしければ、落ち着かないので、寸法は合っている。

 

哲学的ロッキー・ステップ

「西田幾多郎記念哲学館」

は、安藤忠雄の設計。前庭や周囲の作り込みが美麗で「思索の道」を中心線にオーバルオーバルに迂回しながら高台にあるメイン館に辿り着くような造りが鮮やか。
夜間にはライトアップされることもあるようだ。
施設の入口に到達すると、かほく市街を一望できる。

ロッキー・バルボアが街中を、地元の仲間たちに鼓舞されながらジョグし、フィラデルフィア美術館に続く階段でスパートし、息を切らしながら、両手を高く掲げ、明日の勝利を誓う胸アツシーンの再現が出来そうな階段。未確認だが、多くのかほく市民ランナーはココを目指して日々研鑽を積んでいる。はずだ。未確認だが、僕の体感としては確認済。

かほく市街を一望」とか書きながら、「一望」感のある画像がなかったので、己に絶望。

youtu.be

 

考える吾、吾は吾

館内も前庭と同じく、回廊を巡りながら歩くことで、少しづつ高みに登っていく。
展示室を経て、ホワイエと称された瞑想思索の空間に辿り着くことで、この哲学館を味わい尽くすこととなる。

ちょっと名のある施設に赴くと、高確率で、設計 ババーン! 安藤忠雄!!デデーン!!と冠され、「また、打ちっぱなしで、十字に光が差し込んでんでしょ?」と揶揄したくもなる訳だが、正直とてもカッコ良きたてものでした。

展示室では、引き出しを開けて幾多郎直筆の私信を眺めたり、同郷の思索者である鈴木大拙と幾多郎の方言丸出しの会話を聞いたり。よく分からんが興味深いね、といういかにも浅薄な感想を抱く。

西田の言葉として掲げられた、
「人は人 吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」
に、パスカル先生の「人間は考える葦である」とか、デカルト師匠の「我思う、故に我あり」との類似を見、他人はどうだか?自分はこうだ!、たる気概と実践に哲学つーヤツの大概を覚えたような浅薄な感想である。

 

宇野気駅までの帰り道に、サンキョウパンの工場併設の店舗を見つけ、数種買い求め、食いながら金沢までの鉄路を行く。
サンキョウといえば、かの「頭脳パン」も販売してたような気もするが、コチラには売っていなかった。「頭が良くなるパン」なんぞを3時のおやつとして供される石川県下のキッズたちが被るプレッシャーたるや如何なるものか。
頭脳パンを食さない頭脳をもちたる吾こそ、只の吾なり。