2021年8月26日,8月27日
福岡からヤンエグが、夕刻には来阪するので、その前にひと稼ぎを目論む。
「パークイン」を8時には出る。
麗しの冷蔵庫よ、さようなら、そしてありがとう。
冷えた飲料って、こんなに冷えているものなのだね。
トランクルームに寄り、準備をしたのち9時にはウーバーイーツ配達スタンバイ。
平日なので、爆裂なペースではないが、ゆるゆると配達依頼をこなす。
昼には、今夏、喉湿潤最適化固形物 ローソン100「みかんバー」を食べながら、流れた汗を人工的な果汁に置き換える。
いつもの野宿の寝床には、常連の宿無しさんがいる。
後日、少し会話する機会を得たのだが、雨の日はやはり厄介なものだという。
そして、当然今日のような厳しい日射しもまた厄介。
そのどちらの天からの脅威にも、傘がロンギヌスの槍となる。
収まれ!酷暑。
文豪の面影
天神橋商店街近くのマンションに配達。
オートロックの解除をお客にしてもらい、エントランスを通過する際に、ついでに入館する輩が居るのはよくあることだが、この日も大きなカートを引きずったホームレス然としたオバチャンが一緒に入館。
客先まで配達して、退館する際に、くだんのオバチャンに話しかけられる。
「ありがたいね、クーラーってね」
「そうすね。高いマンションは、建物中冷房効いてるからスゴいすよね」
「私ね、さっきのアンタみたいなのに便乗して、色んなマンション入って涼んでるの。もう、外に居るのは限界なの」
「もう、夜も昼も暑いから。このマンションは、そこにトイレもあるし快適なんじゃないすか?」
「うん。ありがとう。もう少し涼んで、住民に怒られないように、しばらくしたら出ていくね。お仕事頑張ってね」
生きているだけで褒めてあげたい。
夏場には、いつもそう思う。
70代くらいに見える上品そうなオバチャンの笑顔を見て、実家の母親を思い出す。
暑さで死ぬなよ、コロナでも死ぬなよ、オバチャンも母ちゃんも。
そのマンションを裏口から出ると、
川端康成生誕の地
というモニュメントが。
なんと、アンタこの辺の人かい。
2年近くこの辺に住んでいたが、こんな碑にはついぞ気が付かなかった。
ウーバーイーツなぞやって、細かく路地を行き過ぎることで見つけられる物もある。
康成は一度も通読したことがないが、ハンマーヘッドシャークみたいな形のモニュメントである。新築マンションに呑み込まれるような形で、ようやっと存在してる。
大事にしてあげてください。ハンマーヘッド。
喫煙可能喫茶の可能性
そこそこの稼ぎを得て、トランクルームで旅出の準備。
今晩は、貧者の味方高速バスで移動である。
待ち合わせした大阪駅前第一ビル内の喫茶店「キング・オブ・キングス」へ。
以前も訪れた「喫茶マヅラ」と内部で繋がっている、もうひとつの喫茶店。
コロナによって酒類提供は控えられているが、こちらはミッドセンチュリー感とスペーシーな内装でウイスキーを一杯放り込むのが相応しい雰囲気だ。
アイスクリームソーダ(ヴァイオレット)
を注文。
500円もするー!が、やがてやって来る福岡の社長に奢ってもらうから、無問題。
お店のママさんによれば、ピアノの生演奏もしばしば行われるという。
いい店だ!
ちょっとデザイン優先が過ぎて、椅子座りにくいけども。良い喫茶店。
当然のように、待ち合わせ時間を軽視してやってこない博多の人。
だが、今晩は割と定刻通りにやってきた。
数日、日本全国を飛び回っていたようである。お疲れ様ですね。
ここに来て、もう数時間後には高速バスが発車するというのに、「他にいいルートあるんでない?」とほざき始め、新潟行きのバリエーションルートを思案するが、高速バスのキャンセル料を鑑みて収束。
何を今更感と同時に、こうやってフレキシブルに考えられる人間って良いのかもな、とも思う。
そして、何度も「この高速バス代は、俺の奢り」との言葉を奴に流し込む。
だから、その他の出費はお前に任せた!という意味であったが、馬耳東風の感。
寂しい人通りの北新地を抜け、高速バスターミナル近くの居酒屋で晩飯。
居酒屋の荷物入れバスケットがひとつしかなかったので、奴のカバンをそこに入れて丁重に扱い、僕のバックパックは、誰がウンコを踏んだのか、誰がゲロを撒き散らしたのか不明の居酒屋の床に直置きしていたことは、触れておきたい。
普段のライクア物相飯と異なり、熱々とかキンキンといった形容が似合う居酒屋メシを、奴の奢りで食う。
新潟へ向かう
22時前に新潟行きのバスは発車。
明日、9時前には新潟着となる。
福岡のヤンエグとMAPのリストを共有し、新潟での訪問地を決めるのだが、奴の希望訪問地の意識の高さと、僕の選ぶ希望地の食い意地の張り方が衝突して、妥協点を見出すのが難しそうである。
新潟=越後つながりで、Spotifyで伊平たけを聴きながら、やがて眠った。
バスセンターのカレー
翌朝、新潟。
早速、共有リストの中から、僕の食い意地方面のリストを埋めるべく、新潟人のソウルフードと呼ばれる 万代そば「バスセンターのカレー」を求めて歩く。
バスセンターのカレーなのに、高速バスはバスセンターには到着しなかった。
バスセンターは意外と遠かったし。
このスパイスカレー、サラサラカレー全盛時において、昭和の香りがドクドクするこの黄色いカレー。しかし、粉っぽい昭和の口触りは克服しており、郷愁だけでなく胃袋と味覚も存分に満たしてくれる逸品であった。
奴も、僕も、完全に舌がバカなのに、こういった庶民的なメニューにはうるさいという大衆メシ判定員の側面があるのだが、バスセンターのカレーは、醸し出す情緒も含めて美味かった。
駅や港、そしてこのようなバスセンターといった旅立つ場所、別れの場所でありながら、通勤通学としても使われる日常の場所で育まれた味に間違いはない。
少し、食い過ぎて、一日中カレーの芳香をたたえたゲップをかましていたが、それこそカレーの醍醐味であろう。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2021
今回の旅の大きな目的は、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2021」を訪れること。
昨日、聞いたんですけどね。いいと思うよ。
レンタカーを借りて、新潟県南部を目指します!
僕は、一切運転はしないけど。頑張れ、社長。
途中、風呂を探すが時間が早過ぎて開いている銭湯が見つからない。
ゴミ焼却場に併設されているお風呂に行くが、開場まで1時間あるとのことで、断念。
Google先生はしばしば嘘をつく。
残念ながらというと失礼なほど、整った施設であったが、全国チェーンなので旅情的には残念ながらという他ない「極楽湯」で湯浴み。
運転しない人のナビは…
車内の助手席に陣取り、カーナビゲーションシステムに全てを委ねたかったのだが、まさかのカーナビ無し車両。
成り行き、僕のナビゲーションが発動するのだが、
「ああー、そこで右。いや、一本先か…」
みたいなポンコツナビゲーションを連発させてしまい、奴に怒られる。
「運転しないヤツのナビってクソなんだよなぁ。急に『そこ入って!』とか言うでしょ?運転しないからドライバーの感覚がわかってないんだよね」
いいや、違う。
僕は「運転しない」のではなくて、「運転できない」だけなのだ。普通自動車免許は所持しているのだ。
結果、同じだが。
ただ、Googleマップの表示と、実際の走行のスピード感がシンクロしない時って意外に多いですよね。だから、判断が遅くなる。でしょ?
世界中の、助手席キッズに賛同を求めたい。
道中車内では、最近僕が感銘を受けまくっている現代短歌の話などで、一方的に僕のみ盛り上がる。文学的なエクリチュールに疎い社長に、現代短歌の魅力を伝えることに必死になってしまって、何度もナビをしくじる。など。
お昼には、越後湯沢付近に着き、「かま炊きめしや こめ太郎」で食事。
ろくにナビゲーションも出来ないくせに、一丁前にお腹だけは空くんだなぁ、キノ。
清津峡を見る
奴の希望訪問地である「清津峡渓谷トンネル」へ。
なんだよ、トンネルかよ!
と思っていたのだが、なかなか面白い景観と作り込みであった。
渓谷美の安全な鑑賞と、その後の現代美術的装いの導入によって観光地として再生を果たしたトンネル。
ただ、いつの間にかインスタグラマーと成り果てた奴の入念で渾身のシャッターが連写されるので、待ち時間が多い。早う、撮れや。
風化してしまう遺構や、その土地に根付いてきたローカルな慣習や空気を再生させる、というのは奴が取り組んでいる仕事のひとつでもあるので、熱心に見ている。
熱心なのは大変良いことだが、インスタ映えは、もういいじゃないか。
観光地といえば、お土産Tシャツをチェックせなばならない。せねばならぬことなど、この世にはない。
観光地的な「いなたさ」がマブく昇華していることを希求したが、残念ながら購入するほどのエモーションは生まれなかった。
現代美術館へ行き、重力を感じる
大地の芸術祭トリエンナーレの作品は、新潟県内の各地、各所に点在しているので、途中あらわれる看板を頼りにいくつか鑑賞。
こうして、街を里を縦横無尽に動きながら、アート作品を見つけていく宝探し的な行動が楽しい。相変わらず竹下ナビゲーションシステムには不具合が多かったが。
なんかカップルでアートを楽しんでいる勢もいて、チェッとなる。
アートをつまみにデートするなんざ、最低だ。
いや、最高だ。
「越後妻有里山現代美術館 MonET」を訪れる。
建物の前景のプール状になった景観が早くも見所。
社長。
撮るよねー。早くしようよねー。
内部の展示も数は限られているが楽しかった。
なかでも、
名和晃平 『Force』
が楽しく。ずっと眺めてしまう。
美術館に行くとよくやってしまう行動形態であるが、一度ひと通り流して観てから、気になった作品に戻るパターンを発動させ、しばらく上から落ちてくる黒いオイルが底に溜まって馴染んでいく様子を無になって眺める。
本当に無になったような気になる。
もう、どうだっていいような気になる。
作品の前に立って、そのアート以外のことは考えられなくなる瞬間がある。
こういう気分になるために、美術館に行くような気がする。
ミュージアムショップで、名和晃平の作品集を見つけたが高価な本であったので、購入は断念し、『Force』の解説の部分だけを盗み読み。
こういうアートを無になって眺めたあとに、答え合わせをする行為をやめたい。
映画を観たあとに、ネットで他の人のレビューや解説を読んで確認するような、自己を放棄する、自分の「無」にキャプションをつけるような行為。
「さっきの、あの黒いオイルが落ちてくるヤツどういう意味だと思う?」
社長に、クイズを出すことで、自分の卑しい行為をエンタメ化する。
正解は、「重力を表現した作品」だそうだ。
知っても詮無いし、「作品の意味」とか知ろうとするくだらない意識が邪魔。
自分の味わった「無」を汚さないように自戒する。
館外に出て、前景の水に足を浸し、ボーッとする。
隣接した地産を扱うお土産ショップで、
を見つけ、「これはお土産に最適!」と思ったのだが、この先どっかで買えるだろうとたかを括って、購入しなかったのが悔やまれる。新潟市内では発見出来なかった。
このローカル感、もらった人が完全に迷惑するであろうボリューム。
絶対に買うべきであった。また、生きていたら会おう。
「またぎ汁」も最高。
その後、「棚田が見てぇ」という奴の希望により、星峠へ。
山あいの曲がりくねった道を進みながら、地元ラジオの繋がりが悪くなってしまい、放送されていたスキマスイッチ『全力少年』が途中で切れてしまったので、僕が引き継いで大声で歌っていたら、またナビゲーションを間違える。
棚田なぞ、僕の生まれた田舎ではありきたりな光景であったのだが、こうして全く別の土地柄で眺める棚田も良かった。
人工の極みのような現代アートと、自然と人事の融合物である棚田を、間を置かずに眺めて感慨深かった。その振り幅に。
奴はまた、Instagramに全力少年であった。
早く行こーよ。
ローカルフード「イタリアン」を食う
新潟のローカルフードを検索すると、焼きそばの麺にミートソースをかけた「イタリアン」がヒットする。
今日の夕飯はこれにする。
満場一致で決定し、モールのフードコートへ向かう。
「イタリアン」には二派が存在するようで、
「みかづき」という店と、「フレンド」という店があるようだ。
閉店時間を調べながら、本日間に合うのは「フレンド」であることが判明。
夜の新潟をドライブ。
イタリアンにまつわるアレコレを検索していたら、竹下ナビゲーションシステムがバグって、また道を間違えたり。したり。
「フレンド」のイタリアンは餃子をくっつけて食すのが定番のようである。
ここで問題が発生、「ああ、車に財布置いてきたわ」と奴がのたまうので、仕方なく奢ってやる。一生「フレンド」を奢ったことは言い続けたい。
変に美味かった。
「変に」というのは失礼かもしれないが、カリッと焼かれた太麺に、ミートソースというよりはトマト感の薄い化学調味料的ソースが絡まり、部活終わりに食ったら完璧な味わいである。
この「絶品!」とかではない、「いつもの」感がまさにディス・イズ・ローカルフード。
食ったそばから「また、食いたい」という感情が芽生える味であった。
明日は、もう一方の雄、「みかづき」を攻めよう。
今度はお金は出さない。
ローカルアイス「もも太郎」
長岡市内に入り、「ホテルニューグリーン長岡」に投宿。
まさかと思われるだろうが、そして僕もまさかとは思わなくもなかったのだが、宿泊費も社長持ち。あざっす!寝まっす!
とか言いながら、ホテルを出て、夜中に、隈研吾の「アオーレ長岡」を見物し、地元スーパー「原信」でローカルアイスを見つけたので購入、即完食。
大きめの氷のザラつきが食べ応えにつながり、酸っぱみのある桃の風味がほのかに漂う。
つくづく、知らない土地のスーパーマーケットはワンダーランドである。
明日もまた、大地の芸術祭トリエンナーレ2021を攻めることになった。
お疲れです、今度は本当に寝まっす。
収入
8260円
使った金額
交通費:180円
書籍代:1210円
諸経費:5470円
所持金
18,708円