大阪、新世界を歩いていると、そこかしこで女装をした男性と思しき人を見かける。
田舎、僕が生まれたような辺鄙な地方都市ではまず見かけることはない。
今はどうだろう?
少しは変わったのかも知れないが。
西成のあいりん地区で、道端に腰掛けてコップ酒を呑むオッチャンの姿と同様に、色鮮やかなドレスをまとい、颯爽と闊歩する、至近距離に近付かなければ女装とは気が付かないその人たちは新世界の日常風景に溶け込んでいる。
富にその姿を発見することが多い「新世界国際劇場」で女装さんを遠巻きに眺めたことがきっかけで、そのことを当ブログに記し、ひとりの女装さんに連絡をいただき、お会いすることが叶った。
ちなみに「〜〜とは何か?」
のタイトルは、紙のプロレスの別冊シリーズから頂戴した。
『大山倍達とは何か?』とか『猪木とは何か?』を貪るように熟読したものである。
『前田日明とは何か?』はVHSだったか?
貪るように読んだけれど、とくに「何か?」が分かった訳ではないことを覚えている。
なので、紙プロに最大限のリスペクトを捧げて、これからのインタビュー記事でも
「女装とは何か?」
の正解がバチコンと出現する訳ではない。
ただ、確実に女装に対するイメージや感慨は変化した。
その自分の感覚を少しは伝えられたら良いと思う。
ご協力いただいたお二方には最大限の感謝と、永らく記事化をお待たせしたことをお詫びしたいです。ごめんなさい。ありがとうございました。
女装とは何か?第1回
日本の女装の歴史
そもそも日本は建国神話の英雄として女装者を描いている。『古事記』や『日本書紀』に登場するヤマトタケルは女装して朝敵であるクマソタケルを討っているのだ。
さらに1629年に歌舞伎に女性が出演することを禁じられて以降は、男性が女役を演じることが当たり前になっているし、江戸時代のベストセラーである『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴 1814年~1842年)にも犬坂毛野という女装の美剣士が登場するなど、遡ればいくらでも日本文化と女装の結びつきを語ることはできる。
女装を専門に取り扱ったメディアとしては1980年に創刊した『くい〜ん』(アント商事)がその元祖だろう。1979年に神田にオープンした日本初の商業女装クラブ「エリザベス会館」の広報誌として誕生し、2003年の休刊に至るまで長くマニアに愛された。
それ以前は女装は『奇譚クラブ』『風俗奇譚』(文献資料刊行会)といった雑誌の中で、SMやホモ、フェチなどのテーマのひとつとして扱われていたのである。
あゆみさんと待ち合わせ
SNSで連絡を取り、新世界の『田園』という喫茶店で待ち合わせることになった。だけど、
「閉まってるー!」
『田園』は新世界国際劇場の斜め前にある。
閉まっているシャッターを眺めながら、駐車場の車止めに腰掛け、あゆみさんを待つ。
こんな薄らボケたオッサンで申し訳ないなぁ、とか思いながら緊張して待つ。
17時少し前に、通天閣の方から小ぶりなスーツケースを引きながら、Tシャツに総柄の薄手のブラウスを羽織ったスキニージーンズの女性がやってくる。
女性に見える。
近づいて挨拶を交わす。
その消え入りそうなか細い声も、メイクに彩られた表情も、確かに「女装した男」と言い切られない限り、女性に見えた。30代くらいの女性。
「こんばんは。今日はすみません」
「いえ、ブログ読んだら最近寝込んでらしたみたいで、大丈夫ですか?」
「ああ、すみません!コロナじゃないと思うんで、大丈夫です!一度、僕も来てみたかったんですけど、『田園』閉まってますね」
「最近開くの遅いんですよ。16時くらいが多いかな?女装絡みのお客さんがメッチャ多いお店やから、ココやったら(女装の人たちが)どんな感じなのか分かってもらえると思ったんですけど、仕方ないですね」
通天小町へ
近くのマクドナルドでいいか、という感じになったのだが、あゆみさんが
「小町行ってみます?」
と言ってくれたので、『通天小町』へ向かう。
新世界の女装およびハッテン場として名高い『通天小町』
見た目はよくあるビデオ試写室だが、その汎用性は高く女装さんたちの集う場所となっている。という話はネットに転がっている。
「ああいいですね。なかなか行く勇気がなかったんで」
ビデオの陳列棚の奥にある受付にあゆみさんを先頭に向かう。
「談話室コース」を選び、一人1000円を支払い2時間「談話室」を利用できる。
受付の左側から入館し、目的の部屋へ。
談話室には、自販機や本棚、パーテーションでわずかに仕切られたソファルームが壁沿いにある。部屋の中央には、テーブルと椅子いくつかある。
そこに座り、自販機で飲み物を買い、あゆみさんとはす向かいに対面する。
近くであゆみさんを眺めれば、その手の甲や骨格をまじまじと観察すれば確かに女装さんかな、と改めて認識する。
女装子
ーまず聞きたかったのは、女装?女装子?呼び方です
呼び方は色々あるんですけど、「じょそうこ」というのはちょっと昔の言い方。「こ」を付けない人が多い。普通に「じょそう」と言うか、最近の若い人なら「じょそう男子」的な。でも、あまり呼び方は気にしないみたいです。
それから、女装をしている人はセクシャルマイノリティではないんですよ。
なので、セクマイの人からすると、女装って言われてしまうと「えー、私は女装じゃないんです!」ということもあります。
純男
女装のことを好きな人のことは「純男」。「すみお」とか「じゅんお」って言います
基本的には純男が女装さんに声をかけて交渉するという流れだ。
しかし、ここで「ハッテン場」という概念に揺らぎが!
あくまでド素人の僕のなかでですが。
ハッテン場
この通天小町はいわゆるハッテン場なので、エッチなことしたい人もいますけど、女装をしている人が何を求めているのかは色々です。
ーハッテン行為をするからハッテン場だと思ってました!
ハッテン場という言葉は、ゲイさんから始まったんだと思うんですけど、女装さんのハッテン場って「やるだけ」という訳ではないんです。
着替えて、メイクして、喋って、それで満足する人も結構います。
ーでも純男さんたちはハッテン行為をしたいんですよね?
ですね。だからそれはすれ違う可能性がありますね。まずエッチしたいかどうか?っていう認識のズレもあるし、相手がどういう性対象なのか?を見極めなきゃいけないし、結構難しかったりしますね。
ーあゆみさんもハッテン行為まで行かないことも多い?
その日次第。もともとウチはココ(通天小町)から遊び始めたんで、どっちかって言うとエッチ側の人だったんですけど、意外とアレめんどくさいんですよね。めんどくさいんです(笑)
エッチまでしようと考えていると、準備がいるんですよ。もし脱ぐんだったら毛の処理もしなきゃいけないし。
この「準備」については、のちにもっと生々しい話を伺う事になる。
ココ(通天小町)は宿泊も出来るんですけど、単なる着替え場所にしてる人も多いんですね。ここで着替えてミナミに遊びに行くとか。新世界の女装さんがやってはるカラオケスナックで呑んだりとか。ココを起点にどこかに出かける人も多いですね。国際劇場も歩いてすぐなので、遊び終わったらコッチ帰ってきて、とか。
ー「遊び」っていうのは、国際劇場で言ったらハッテン行為を指す?
ただ集まって喋ってるだけの人もいます。女装さん同士で話したり、純男さんと話したり。
どんだけ、ハッテンさせたいんだ!俺は!
ハッテンしないハッテン場。
顔見知りで話すだけ。メイクするだけ。拠点にするだけ。
気分次第ではハッテンするかもね。
そんな解釈が女装さんにとってのハッテン場のようだ。
新世界になぜ女装さんが多いのか?
んー、よくわからないですけど。
もともとゲイさんのサウナとかもあるので、あとは国際?映画館っていうのはハッテン場になっているので、そこからかも知れないですね。
20年くらい前は、プロ?売りをしている人?女装さんなのかな、立ってたりしました。天王寺公園の裏のところとか。
あべちか(阿倍野地下街)に今でも「浄化作戦実施中!」とかビラを貼っているのは、その名残りだと思います。
その歴史まで、あゆみさんに聞いてんじゃねーぞ、テメエ!億劫すんな!
という訳で、ネットで検索すると、こんな記述のある論文が見つかりました。
角達也(上野の男娼について書かれた小説『男娼の森』1949 の作者)は男性同性愛者や男娼を指す「オカマ」という俗称の由来について、「上野の男娼たちは釜ガ崎の頭文字から出た呼び名だと信じて」おり、男娼は「大阪の方が本場」だと目されていたという。
(略)
大阪を含む上方は、江戸時代より男色の先進地であり供給地とされてきたが、1900年以降に成立した釜ヶ崎が男娼の「本場」と目された理由について1923年の関東大震災によって生活の場を失った男娼が大挙して移動したのがはじまりだという。
(略)
『新世界興隆史』(徳尾野 1934)によると大正9年(1920年)頃から飛田と新世界の間にある石見町は「漂客相手の法界屋が盛んに出入りして、大いに男娼的雰囲気を醸し出」していた。法界屋とは、月琴や三味線などを持ち法界節などを唄う巷間の門付け芸の一つである。
明治初期の新世界や飛田の「変態性欲者」について、「顔へベツタリ白粉をつけ、中には眉を引き口紅までさして、紋服をゾロリと着流し三味線や鼓を抱へて二三人連れ立つて、女よりもずつと女らしい嬌態を作つて盛り場を臆面もなく流し廻」っていたとある。
鹿野由行『男娼のセクシュアリティの再考察:近代大阪における男娼像の形成とコミュニティの変遷』2015 大阪大学大学院文学研究科
日雇い労働者の街、西成釜ヶ崎。隣接する新世界。
蔑称として用いられる「オカマ」の「カマ」は「釜ヶ崎のカマ」だったのか!(真偽は不明)
この興味深い論文には、「男娼の女王」(ややこしいな!)と呼ばれ、「女装したんは、あたしが初めて」と自称し、「おかまスクール」や「男娼道場」と呼ばれるコミュニティを組織した上田笑子という「飛田の大姐御」の話も出てきて大変面白いですよ。必読。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/61356/mrj_049_037A.pdf
つー訳で長尺になってきたので、以降第2回に続きます。
映画は90分以内。ブログは5000字以内!
次回は、あゆみさんのパーソナルなお話と通天小町で出会ったもう一人の女装さんも登場してくれます。
乞うご期待!
※ お話は、2021年5月26日に伺いました。